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常盤響の週刊ニューエロス。007


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ニューエロス 第7号

2013.2.2

責任編集、全撮影 常盤響

表紙モデル 照沼ファリーザ

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▼目次

・nico nama gravure #003 藤沢夢華

・ニューコラム「川勝さんとのすごく私的な想い出。」

・Voice from レコ部。「勝新太郎 / 夜を歌う」

・ お知らせ、編集後記


nico nama gravure #003

ニコ生グラビア 第3回 モデル 藤沢夢華 2013年1月29日撮影

藤沢夢華オフィシャルブログ http://ameblo.jp/yumeka-fujisawa/

ニューコラム 007

川勝さんとのすごく私的な想い出。


2012年の1月31日に編集者/ライターの川勝正幸さんが亡くなった。突然の訃報に驚き、訳がわからぬままその日の夜、DJにでかけた。その日は福岡のバー「petrol blue」で時々やっているひとりDJの日で、何枚か川勝さんを偲んだレコードを持って行った。その時はまだ頭が真っ白で、悲しいとかそういう感情ではなかったんだけど、レコードをかけながら川勝さんが亡くなったという話をしだしたとたんに、堰を切ったかのように涙があふれて止まらなくなってしまった。亡くなる二ヶ月ほど前に、その「petrol blue」で久々に川勝さんとサシでゆっくり呑んだばかりだった。


川勝さんと出会ったのは1982年頃だったのではないかと記憶している。当時、僕は高校1年か2年でライブハウスに通ったり、古い映画を観に映画館に通うような日々だった。


ライブハウスといってもそんなにお客さんが沢山いるわけではなかったから、目当てのバンドのライブをあちこちで観ていると、よく来ているお客さんもなんとなく顔を知った感じになる。


最初は知り合いじゃないけれど、顔は知っているような感じだったと思う。その頃、僕は「東京タワーズ」というバンドのファンになっていた。当時、バイトでライターをやっていた「月刊 Boom」という雑誌の取材などを経て「東京タワーズ」のメンバーや周辺の人たちと知り合いだして、その中のひとりが川勝さんだった。


川勝さんはあまり風貌が変わらない印象の人で、当時はずいぶん年上の大人の人という印象だった。今、思えば川勝さんも20代半ばだった。


当時は似たような趣味の人が行く場所は限られていたのか、ライブハウスでの好みのバンドのライブ、レコード屋、洋書屋や池袋文芸座、日仏会館、アテネフランセなどで行われる上映会などで、ちょくちょく川勝さんと顔を合わせた。


僕は大抵ひとりだったので、いつもニコニコしながら「常盤君、この後時間ありますか?お茶でも飲みませんか?」と誘ってくれて、古くからやっている喫茶店や渋いご飯屋さんに連れて行ってくれた。


そこで、そのお店にまつわる話や観た映画について、他にも川勝さんがレコメンドする本やレコードを色々教えてくれたのだった。よく考えると、僕がまだ10代の頃が川勝さんとは一番よく会っていたと思う。


その後川勝さんはどんどん売れっ子になって、テレビや雑誌で活躍するようになり、昔ほど顔を合わせることは無くなっていった。それでも、街でバッタリ合うと昔とかわらない笑顔で接してくれていた。


僕が20代の後半にデザインを始め、ヤン富田さんのCDのジャケットを手がけた時はすごく喜んでくれて、時々仕事を振ってくれたりもした。


特に僕が写真を始めるきっかけとなった阿部和重さんの小説「インディビジュアル・プロジェクション」装丁して、写真を撮った時にはすぐに電話をくれた。「カッコイイ写真だと思ってジャケ買いしてタクシーの中でクレジットを見たら常盤君だったのでビックリしましたよ!」「表紙のセクシーな女の子が履いているスニーカーがアディダスのビンテージの蛇革スーパースターなんでヤバイと思って」などと話してくれて、すごく褒めてくれた。


博報堂が出している広告という雑誌の連載「人間ポップ宝をたずねて」の第一回目でも僕を取り上げてくれてインタビューをしてくれた。仕事として川勝さんに取材されるのは初めてで気恥ずかくもあり、昔から知ってる先輩に認められたような気がしてとても誇らしく嬉しかった。


ここ10年くらいはたまにDJで一緒になったり、コンサートで顔を合わせて立ち話をする程度の関係で一緒に仕事をしていた方達からすると薄い関係性かもしれない。でも、いつでも川勝さんの仕事や紹介する物事は常に気になっていた。


何年かに一度は2人でじっくり飲む機会があって、一番想い出に残ってるのは一緒に大阪へ行った時だ。食事の後、もう一軒と連れて行かれたのが天保山にある船員バー「パセノン」だった。


何十年も時が停まったような薄暗く真っ赤な妖しい店内に、妖怪のようなママと少し若いと言っても70代?のチーママがいて、お客は僕と川勝さんだけ。


昔はギリシャ船が多く、店のカウンターには船員相手の娼婦達がずらっと並んでいたそう。天保山にいながらにして世界各国の男と寝たと豪語するママからの下ネタ連発の接客を受けながらギリシャの強い酒を何杯も飲んだ。


店内のBGMはジュークボックス。ママに「音楽聞きたいわぁ」とねだられて客がお金を入れて曲を選ぶ。一番新しいレコードで70年代半ばというジュークボックスから流れる音楽を聴きながら川勝さんがえらくご機嫌だったのを覚えている。


先日、大阪に用事で行った時にほんの短い間だけど天保山に寄った。もう取り壊されてしまったパセノンの建物付近でちょっとだけぼんやりと川勝さんの事を考えて、煙草を一本吸って天保山を後にした。

川勝正幸著 「ポップ中毒者の手記(約10年分)」 (河出文庫)



voice from レコ部。

勝新太郎 / 夜を歌う model : 水沢優那


日本を代表する名優、勝新太郎が1969年にリリースした最高にカッコイイアルバム。「ニュー・パシフィック・オーケストラ」のゴージャスな伴奏に乗せて内外のヒット曲を勝節でうたいまくる。初めて勝新の歌を聴いた人が最初に驚くのはその歌のうまさ。役者のレコード数あれど、これほど歌のうまい人も珍しい。ソフトないい声と抜群のリズム感。今の日本に勝新のような役者がいないのが残念でならない。  

何曲かニコ動にあがっていたので、ぜひ聞いて見て下さい。

勝新太郎 / サニー http://www.nicovideo.jp/watch/sm12567359

勝新太郎 / ムーンリバー http://www.nicovideo.jp/watch/sm7178382

この時代は日本の歌手や役者に海外のポピュラーヒットを歌わせるような企画盤が数多くリリースされたが、その中でもこのアルバムは出色の出来である。今ではボーナストラックもおさめられてCD化され聞きやすくなったので、ぜひ手に入れて聴いていただきたいアルバムです。 勝新太郎 / 夜を歌う+8

編集後記

今号は東京出張中に撮影、執筆、編集をしなければならなかったのでバタバタでした。出張の時に使っているノートPCは2009年の17インチMacBook Proなんですが、今では写真の現像をしたりフォトショップで画像の変換をしたりするのにも、けっこうな時間がかかるようになってしまいました。メールや文章を書いたりするのには全然問題はないのですが、ニューエロスの更新の事を考えるとそろそろ新しいものに買い替える時期かもしれません。カメラもそろそろ買い替えの時期なので悩ましいところであります。


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ニューエロス 第7号

2013年2月2日発行

責任編集、全撮影 常盤響

協力 東川昌弘

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