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常盤響の週刊ニューエロス。121


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ニューエロス 第121号 2015.04.11 責任編集、全撮影 常盤響 表紙モデル 藤れいか ------------------------------------------------------------

▼目次 ・new eros pictrial #065 as long as you're long on looks.  model : 藤れいか ・ニューコラム #108 「 子供の頃の記憶を断片的に。」 ・大野ケイスケの0721文 「性的嗜好」 ・The Girl Who Always Smokes. 今週の煙草を吸う女。 ・お知らせ、編集後記

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ニューエロス 第121号 2015.04.11 責任編集、全撮影 常盤響 表紙モデル 藤れいか ------------------------------------------------------------

▼目次 ・new eros pictrial #065 as long as you're long on looks.  model : 藤れいか ・ニューコラム #108 「 子供の頃の記憶を断片的に。」 ・大野ケイスケの0721文 「性的嗜好」 ・The Girl Who Always Smokes. 今週の煙草を吸う女。 ・次号予告と今後のラインナップ  ・お知らせ、編集後記

new eros pictrial #065 as long as you're long on looks.

モデル:藤れいか

ニューコラム #108

「子供の頃の記憶を断片的に。」

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1966年に順天堂大学病院で生まれた。家は丸ノ内線茗荷谷駅前の公団だった。生まれた頃の記憶は当然ないのだけれど、父方の祖母が亡くなる前、父の山形の実家で床に臥せっている時にお見舞いに行ったのは覚えている。なにかお菓子のようなものを手渡され祖母の口元に持っていったという記憶。祖母が亡くなったのは1歳になる前だったので、その記憶は生まれて間もない頃のものだったのだろう。普段とは違う強烈な記憶だったのか。もっと古い記憶といえば、同じく父の実家でお食い初めをした時の記憶。高い場所に座らされ身動きができずひどく不快だった記憶。目の前には大勢の大人が座卓を前に飲み食いをしている。まぁ、この記憶はとても曖昧なんだけれど。幼児の頃の記憶はベビーベッドの中で目覚めて、まだ暗い部屋の天井を見上げている記憶。家の前の春日通りを窓から眺めている。通りの向こうにはバスの操車場があって、バスが出入りしている。まだ若かった両親は寝室で二人で寝ていて、僕は居間に置かれたベビーベッドの中が自分の部屋だった。ベッドには小さなトランジスタラジオがぶら下がっていて、スイッチのダイヤルを回すとラジオが流れてくるのは知っていた。ベビーベッドの中でラジオから流れてくる音楽をぼんやり聞いたり、スケッチブックに絵を描いたり、窓の外を眺めたりして過ごしていた。3歳頃になると公団の隣にあるフジパンのパン屋に一人でお使いに行った。パン屋のショーケースの上に背伸びして50円玉を置くと、パン屋のおばさんが食パンを一斤手渡してくれた。そのお店には大阪万博のフジパンロボット館のポスターが貼ってあったのも覚えている。1969年の終わりか1970年の初めだったのだろう。1969年には時折まどの外で大声が上がり、大学生のデモ隊が春日通りを行進している姿を見るのが楽しかった。近所には教育大学(現筑波大学)のキャンバスがあって、そこでいつも遊んでいた。大学の入り口の前が遊歩道みたいになっていて、そこで大学生がギターを弾いて歌っていた。家にあったPPMのコンパクト盤に入っていた曲を歌っていたこともあった。多分、500マイルか風に吹かれてか。伯父がアメリカで買ってきてくれた(と思う)ラングラーの子供用のジーンズを履いて大学に行ったら、大学生が「お!ジーンズ!仲間だな」といわれて嬉しかった記憶。親戚からもらった迷彩柄のマシンガンのおもちゃを持って遊んでいたら大学生に「そういう遊びは良くない。ベトナムでは云々〜」といわれて、それからは気を使って家を出る時には一応マシンガンを持って出るのだけど、公団の郵便受けの場所に隠してから遊びに行っていた。チキチキバンバンを見に行って、同時上映のオバケのマンガ(イエローサブマリン)がの方が気にいって、マネをして絵を描いていたけれど、後にドボチョン一家と記憶が曖昧になっていったこと。冬の寒い日、春日通りで消防車を見て興奮していたら、東大へ向かっていった。東大火事とずっと思っていたけれど、多分それは東大安田講堂事件だったのだろう。掃除をしていて古い写真を見つけて、なんとなく思い出した1960年代のことを書いてみた。 写真は1971年の春、茗荷谷から引っ越した家の自室にて(新しい住宅 1971年春号から)


大野ケイスケの0721文

「性的嗜好」


 中学の終わり頃から、「社会的立場と性的嗜好」について考えるようになった。地元の「ビデオレンタルキャッツ」でAVを借りることに成功した僕は、すぐさま友人たちに知らせ、又貸しをするようになった。7泊8日500円のレンタル代は一人100円の又貸し料×5人で元が取れるという小さなビジネスもあり、せっせと借りた。最初はAVというだけで全員興奮していたが、徐々にそれぞれ「嗜好」が出てくる。「黒い下着が見たい」「ショートカットの女優がいい」「縛るのが見たい」「外人は?」等々。各嗜好に添った作品を借りることはできない。持ち歩くには3本が限界だし、小さなビジネスも破綻する。嗜好の種類を踏まえ、全員が満足しうる作品選びを課せられるようになった。アダルトコーナーで熟考&吟味することにも慣れ、皆から満足の言葉を得た時の達成感に喜びを覚えるにまで至った。友人たちの性的嗜好を熟知するようになったが、人は見かけによらないという言葉を痛感した。成績優秀で部活動も熱心に打ち込んでいたY君はSMに異常な執着があった。「もっとハードなやつを」と再三求められたが、他の友人たちの嗜好と乖離するため断った。SM風のシーンを語る時の彼の目は怖かった。これまた成績優秀でバンドをやっていたI君は「妹」にこだわっていた。どの作品も「妹基準」で語った。「一番妹にしたい」「妹からはかけ離れていた」さっぱりわからない評価だった。スポーツ万能なC君はいつも巻き戻しをしなかった。店に返却する時に僕が怒られるので、仕方なく家で巻き戻していたが、C君が停止した箇所はつまり「発射したシーン」なわけで、「何故ここで?」と毎回思った。又貸しを通して、性的嗜好を加えた複眼で見るようになった。 大野ケイスケ 放送作家、ライター。「ミュージックフェア」「weekend Hips」「深夜喫茶スジガネーゼ」「ユミパン」「SMAPパワースプラッシュ」「髭まかせ」「マイ・クレイジーケンバンド」「巨乳王子」など。



The Girl Who Always Smokes.

今週の煙草を吸う女。

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model : natsu


編集後記 先週見に行くと言っていた鳥栖ベアスタで行われた福岡Jアンクラスのホーム初戦ですが、前夜飲み過ぎて寝坊したため見に行けませんでした。明日は小郡でJSCLとの対戦です。今夜はスタンドバップにクボタタケシ君が来るので遊びに行こうと思っているのですが、飲み過ぎて寝坊しないようにしたいと思ってます。

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ニューエロス 第121号 2015年4月11日発行 責任編集、全撮影 常盤響 ------------------------------------------------------------

 
 
 

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